07/02/2026
*とても長い私的哲学(暇な人以外読まないでください笑)
今、新しい拠点となるアトリエ(店ではない)への引越し作業真っ只中のパサージュです。その道中で、いつものごとく、面白いことや変わったことに遭遇してしまうので、それをスレッズに上げていたら、ほんとうにどうでもよすぎる、なんでもない投稿が一夜のうちに10万回も閲覧され、様々なコメントが届き、盛り上がることとなった。
バズったからイェイ!みたいなことを言いたいわけでは微塵もなく。私が非常に面白いと感じたのは「変なものが落ちてきた。なんだろう?」という一つの「問い」を、こんなにもみんなで、それも顔も知らない通りすがりの者同士で、分かち合い、楽しむことができる。という点である。
そしてこれが、重たいテーマではなく、心の底からどうでもよすぎる「なんか落ちてきた」というテーマなことがまた、ミソであるとも思う。
ティッシュではないか?
湯葉ではないか?
モンブラン、中華スープの卵、茹でた鶏肉、、、
などなど、多様な仮説が飛び交った。
結局のところ、何かはわからない。
カラスが落としたんだ!という説が有力だが、そのカラスすら、これが何かは知らない。というか、何かわからないから吐き出したのだと思う。
ただ、この一連の流れの中で、ある角度で真理が現れた。
「鳥が落としたんですね、食べれなくて」
というコメントに対して
「鳥が飲み込んでしまわなくてよかった」
「そもそもこれを捨てたのは人間だ..」
「そう考えられるのはとても優しいと思う」
「私も気をつけたいと思う!」
という流れが派生した。
落ちてきたものが何であるかなんていうのは、とんでもなくどうでもよいが、ひとつの「問い」としては、これ以上のない抜群の出来事ではないかと思った。
この「問い」から「何かが落ちてきたことはびっくりすることではあるが、そもそも、これを地球に最初に落とした(捨てた)のは、我々人間の方ではないか」という真実に、10万人の人々が触れたことになる。
このことに気づいた時、私は、久しぶりに感動を覚えた。
「人は正解を求めている」的なことをよく目にするが、違うと感じた。人は「問いを求めている」のだと思う。
この世界の「わからなさ」を、はたまた「忘れそうになってしまう何か大切なこと」を、これはなんだろうなんだろうと楽しみながら、解いていく、再発見していく。その、人間としての文化的嗜みとも言える行動が、とんでもなく私の心に響いた。
そしてまた、自分は、パサージュという活動を通して、新たにモノを生み出していくことになる。これについても考えさせられる日々である。
モノを作るということは、カラスが何かを落とすことと同じだから。
今まで世界になかったもの、見たことないもの、何これって思うものを、世界に落とすことになる。
それが、自分として、何か確信めいたものを届けることではなく。これが良いものである!という解としてではなく、一つの「問い」として届けたいと感じた。
私は、これから、このカラスになるということになる。
これから生まれるモノやデザインや、なんでもないやり取りの中で、ぜひとも、色んな楽しさが飛び交ってほしい。そんな場所になれば良いなぁと思う。
これはことあるごとに何度も言っているがPASSAGEという言葉は、直訳すると「通路」である。もう、その通りの、そのまますぎる。これ以上でもこれ以下でもない、抜群の言葉。
私的な哲学をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
なにか今日の投稿で、琴線に触れるものをがあったならば、ぜひ気軽にコメントや、DMや、また会う機会にでも、教えてくださいね。
みんなとまた、こうして色々なテーマで交流したり、やいのやいのと面白がれることが、私の何よりの喜びです!